POWERMOOK 《精神医学の基盤》

このシリーズについて 精神医学の意義と技法の本質を根底から考える

近年の精神医学をめぐる情勢の変化には目を見張るものがあります。反精神医学運動が隆盛をきわめ、精神科疾患が社会運動の脈絡のなかで捉えられた時代、力動的精神医学が大きな影響力を駆使した時代、非定型抗精神病薬の登場により脱施設化が精神科医療の大きな課題となった時代、精神科における基礎研究の進歩が注目されはじめた時代、これらのどの時代をみても、診断と治療に加え、精神科臨床においては精神病理学が重要な役割を果たしてきました。しかし、臨床からあまりにも乖離した思弁的な精神病理学の展開や、より実証的な生物学的精神医学の台頭が精神病理学の存在意義を大きく後退させてしまった感は否めません。今日の精神科臨床に求められていることが精神病理学的な観点と生物学的精神医学の観点の融合であろうことに異論の余地はないと思われますが、そうした試みを各論レベルで深化させることは容易ではないと考えられます。本シリーズでは、そうした問題点を最大の関心分野とし、精神医学の基盤としての基礎研究、また臨床医学としての精神病理学を学際的に扱うことを基本方針といたします。
この第1巻の特集への書評を書いてくださった黒木俊秀氏は、(近年海外で注目されている)「Philosophy of Psychiatryに呼応する動きが日本で見当たらないことを不満に思っていたが、ようやく本書にめぐりあって乾きが潤される思いがした」・・・・・・なにしろ、責任編集が、石郷岡純氏と加藤敏氏という、まさか予期せぬ顔ぶれの精神薬理学者と精神病理学のリーダー同士である。」と述べておられます。

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POWERMOOK 《精神医学の基盤》[1]
薬物療法を精神病理学的視点から考える
責任編集=石郷岡純/加藤敏
B5判 230p 4000円+税 ISBN9784906502509 

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特集にあたって
精神医学のMOOK版の新たな書籍として「精神医学の基盤」がスタートした。記念すべき第1号の特集は「薬物療法を精神病理学的視点から考える」である。「精神医学の基盤」では精神医学における重要なテーマを斬新な切り口で俎上に載せていく予定であるが、第1号で選ばれたこのテーマは、今日の精神医学を語る際に避けては通れないばかりでなく、あらゆる議論のスタイルを象徴的にあぶりだす作用があると思われる。それは、薬物療法と精神病理学の双方が様々な意味で対立軸を内包しているからである。すなわちこの両者は、病理の解明と治療学といった研究目的の方向性も異なり、また方法論においても異なっていて、あたかも人類の知的活動の多様性の歴史をそのまま代表しているように見え、専門家集団としても異なっている。しかし、個々人においては両者が分裂しているわけでもなく、一方のみの思索に限定しているのでもない。
本書ではまさにこの思索の異種性に焦点を当てているのであり、異質なもの同士の出会いに知的な興奮を感じていただければ望外の喜びである。(石郷岡純)

(対談)「薬物療法の進歩と精神病理学の展開」…… 石郷岡純(女子医大)×加藤敏(自治医大)
対談の骨子(見出し) 「診断」と「疾病概念」は異なるもの、薬物の作用は疾患とは異なるカテゴリーに対して効果を発揮する、ドーパミンの機能は疾病からの回復過程に関与している、ノセボ効果を増強させるような医療も増えている、「正常な悲しみ」は奪ってはならない、薬効を何で評価するかということも重要な問題――真のアウトカム、フロイトの「心的装置」は現在のニューロサイエンスの理解を言い当てている、「仮説を必要としない研究のモデル」

「遺伝子-言語複合体」としての人間に対する薬物療法を考える …… 加藤敏 (自治医大)
抄録:今日,精神科治療において薬物療法がかつてないほど重視されるようになっている。その分,人文科学の知に源泉をもつ「無条件の歓待」の理念に根ざした医師-患者関係が後退し,本来の精神療法の意義が疎んじられているように見受けられる。最新の遺伝子解析の知見をふまえ,人間主体の基本的な在り方を周囲との絶えざる相互作用のなかで不断に生成する(ともにリゾームモデルをもつ)「遺伝子-言語複合体」に求める考え方を提示した。いかに了解不能な言葉を発する患者に対しても,狂いとは一線を画す自由な精神の次元が保たれていることに配慮した「無条件の歓待」の姿勢で接することは,それだけで精神療法の効果をもつことが期待される。この姿勢は疾患を問わず薬物療法を行ううえで重要である。 (キーワード:薬物療法,精神療法,プラセボ効果,統合失調症,うつ病)

薬物療法と精神病理学…… 石原孝二 (東京大学、科学哲学)
抄録:精神病理学は現在、症状やシンドローム、精神疾患をもつ当事者の体験そのもの(の形式や構造)を対象にする学問として一般には理解されているが、歴史的には、精神疾患の症状、病因、疾患の経過、解剖学・生理学を包括的に扱うものとして考えられていた。そのような意味における精神病理学は精神疾患そのものを対象とするものであり、治療と対比されるものである。しかし1950年代の精神薬の登場以降、薬物療法は精神疾患の病態や捉え方、分類に大きな影響を与えてきた。現代の精神医療において、薬物療法は深く浸透しており、薬物療法の影響を抜きにして精神疾患の症状や転帰について考えることは困難になっている。現代において精神病理学を展開していくためには、薬物療法に対する批判的なスタンスを保ちつつ、薬物療法のプロセスや結果を精神病理学のなかにどのように取り込んでいくのかを考えていく必要があるだろう。(キーワード:精神病理学,薬物療法,治療反応性,Janzarik)

薬物療法の進歩に精神病理学はいかに寄与したか…… 兼本浩祐 (愛知医科大学)
抄録:薬物療法あるいはECTのような脳に直接作用する物理的治療法を,特定の精神症状に対して適用すべきかどうかの判断のためには,理念的には何らかの生理学的な原因を仮想することが要請されること,伝統的精神病理学は,この要請に従って「内因」という生理的原因を仮装することで,精神疾患を他の身体疾患と同様の「疾患」として取り扱える形式を整えたことを論じた。生理学的な疾患概念と切り離して症状のみから「診断」を行えると操作的診断が主張するのであれば,それは通常の身体疾患における診断とは全く異なった「診断」であり,身体医学における診断とは別個のものであることを意識すべきであることを主張した。うつ病治療における単一論“ lumper” と二分論“ splitter” の医学史的展望,統合失調症に対する構造主義的アプローチと現象学的精神病理学のアプローチの比較,ヤスパースの了解が二つの異なった意味で使われていることを指摘した上で,伝統的精神病理学における内因性精神疾患と薬物療法の関係は,現象学的精神病理学やDSM III またはIV のそれと比べて,より本質的な関係にあることを指摘した。(キーワード:精神病理学,内因性,薬物療法,ヤスパース)

操作的診断カテゴリーと疾病概念の齟齬 ― 治療学との関連性をどう考えるか……大野裕 (認知行動療法センター)
抄録:操作的診断基準を基礎にしたDSM-III の発表以来,その意義と弊害について,わが国でこれまで多くの議論が積み重ねられてきた。そのなかでは,従来からの疾病概念との齟齬についての議論が多く,操作的診断カテゴリーの導入によって過剰診断や過剰治療が行われるようになったという議論もある。しかし,操作的診断基準はあくまでもガイドでしかなく,過剰診断や過剰治療が行われるようになったとすると,それは操作的診断基準を使う精神科医自体の問題である。また操作的診断基準が好んで用いられるようになったのは,従来からの疾病概念が曖昧であり,信頼性や妥当性が十分に検証されていなかったためでもある。そもそも,精神疾患の原因が解明されていない現状では,いかなる診断分類も一長一短があり,そうしたなかで個々の分類法や概念について批判的になって悪者探しをすることは,決して治療の役には立たない。むしろ,診断分類の長所と短所を念頭に置きながら,症例の概念化を通して患者を一人の人間として理解し手助けしていく方法を探ることが治療的には重要なのである。(キーワード:操作的診断,信頼性,妥当性,症例の概念化,精神疾患の診断・分類マニュアル)

統合失調症の薬物療法における精神病理学的意義…… 福田正人(群馬大学)
抄録:抗精神病薬が統合失調症の脳に作用することで,心理や行動の変化を引き起こすことは臨床の経験としては当然だが,両者が具体的にどう結びつくかは明らかでなく,薬物療法と精神病理学のあいだには距離があった。自我や自己を脳機能として検討できるようになったことで,抗精神病薬の効果を統合失調症の症状とより対応づけて理解する手掛かりが得られるようになってきている。そのことを通じて,統合失調症における薬物療法と精神病理の関連が明らかになるだけでなく,体験としての苦痛や生活における困難からのリカバリーを薬物療法や脳機能と関連づけて理解することができるようになる。そこでは,価値意識にもとづいて自発的に行動を起こして長い人生を送るための基盤としての脳機能という視点が重要である。(キーワード:統合失調症,抗精神病薬,精神病理,リカバリー,脳,生活)

うつ病の薬物療法における精神病理学的意義…… 田島治 (杏林大学)
抄録:未熟性や自己愛の病理が背景にある現代型のうつ病患者が増加した今日,新規抗うつ薬を中心とした薬物療法の信頼性が大きく揺らぎ,その有用性と安全性に対する不信が高まっている。様々な向精神薬を治療終結の見通しのないまま長期に服用し,通常の生活ができないうつ病患者が急激に増加している。治らないのは既存の抗うつ薬では効果がない患者のパーソナリティの病理や,見逃されていた双極性障害のためであろうか。ここでは現代のうつ病の精神病理を再検討するとともに,抗うつ薬がどのようにして効果を発揮するのか,最近の脳のイメージングと認知神経心理学の視点から示唆されるうつ病の病態と,推定される治療のメカニズムも考慮して,“薬物心理学”の視点から検討した。さらに抗うつ薬の長期投与による遷延化や不安定化,ボーダーライン化や双極スペクトラム化など,抗うつ薬誘発性と推定される精神病理の可能性についても指摘し,今日のうつ病の薬物療法の問題点を明らかとするとともに,抗うつ薬と呼ばれている薬物が人間の心にどんな作用を及ぼすのか,その精神病理学的意義を検討した。(キーワード:うつ病,精神病理,薬物療法,選択的セロトニン再取り込み阻害薬,三環系抗うつ薬,薬物心理学)

薬物療法の前提としての双極性障害の精神病理学… 阿部隆明 (自治医大)
抄録:双極性障害は,躁病相,うつ病相という一見正反対の特徴をもつエピソードがあることに加え,再発性が高いことが特徴である。治療的には,躁を抑える,うつを上げるといった短期的な対応に目が向きがちであるが,躁とうつは密接に絡み合っており,この関係を押さえておかないことには,双極性障害の包括的な治療につながらない。 躁とうつの関係については,対称モデル,2 次元モデル,制止-脱抑制モデル,発達モデル,躁先行仮説,うつに重畳する躁,うつ病の構成因子としての躁などが考えられる。いずれにしても,躁は比較的均一であるが,うつの内実は多様である。躁とうつの発症機制に関しては,一定の心理的身体的な負荷に対して興奮状態が生じるという,「生体反応モデル」に統合できる。 双極性障害像のライフステージごとの差異は,人格の成熟ないしメランコリー能力と躁的な因子を2 軸にとった見取り図を作成することで理解しやすくなる。青年期では感情気質や,人格と気分障害の融合したような双極I 型やII 型が目立ち,成人期前期では不安・焦燥優位なうつ病相ないし軽い制止優位のうつ病相を伴う双極II 型が,壮年期以降は典型的な制止優位のうつ病相をもつ双極I 型が出現しやすくなる。 薬物療法的には,躁病では適度の鎮静が主体となるが,うつ病相に関しては,メランコリアの特徴を有する病態には適度の鎮静が,非定型の特徴を呈する病態には適度の賦活が重要となる。(キーワード:双極性障害,躁病,うつ病,双極スペクトラム,メランコリアの特徴,非定型の特徴)

不安障害の薬物療法における精神病理学的意義 ― 神経症概念の治療学的有用性……越野好文(アイリス メディカル クリニック、金沢大名誉教授)
抄録:1894 年にFreud は病的な不安の症状を詳しく分析し,全般的ないらいら感,慢性の懸念/ 不安に満ちた予期,不安発作およびその結果として生じる恐怖性回避の4 つを特徴とする不安神経症の概念をまとめあげた。1980 年に発表されたアメリカ精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアルは,病的な恐怖・不安を中心症状とする疾患に対して“不安障害”という新しいカテゴリーを設けた。これには恐怖性障害(従来の恐怖神経症)と不安状態(従来の不安神経症)が含まれる。Freud が不安神経症の中核症状であると考えた“不安に満ちた予期”がDSM-III の全般性不安障害に,そして不安発作がパニック障害に受け継がれたとされるが,不安に満ちた予期と不安発作に代表される自律神経過活動はDSM-III の他の不安障害においても治療を必要とする重要な症状である。不安障害に有効な薬物として抗うつ薬,5-HT1A作動薬,benzodiazepine 系抗不安薬がある。前2 者は精神不安に,後者は身体不安に優れた効果を示す。したがって不安障害の治療にあたっては,患者の不安を分析し,症状に適した治療薬を選択することが必要である。(キーワード:抗不安薬,不安障害,不安神経症,Freud,予期憂慮)

児童・思春期の薬物療法における発達心理学的意義…… 岡田俊 (名古屋大学)
抄録:児童・思春期の精神疾患は,成人期と異なり,その臨床症状や経過が非定型的であること,薬物療法への治療反応性に相違があることが指摘されてきた。これらの相違は,成人期になっても持続することから,年齢に応じた精神疾患の臨床表現の相違というよりも,発症年齢により精神疾患の病態は異なること,とりわけ年少例ほど,併存する発達障害の影響を受けやすく,二次障害としての側面を持つことが示唆された。近年,発達障害に対しては薬物療法のエビデンスが蓄積しつつある。ここでは注意欠如・多動症を中心に検討を加えたが,発達障害の薬物療法は単に臨床症状を改善するだけでなく,発達障害とともに生きることに伴う主観的体験や心理的体験から脱却し,新たな体験をいやおうなくもたらす営みであり,それに伴う戸惑いや,そのことで促進される発達の歩みについても理解することが求められる。(キーワード:児童,青年,薬物療法,発達心理学,精神療法)

精神病理学・症候学的視点から高齢者の薬物療法を考える…… 萩原徹也/天野直二 (信州大学)
抄録:高齢者の精神症状は多彩であり,環境やライフイベント,加齢に伴う認知機能低下など様々な要因により修飾されて経時的に変化する。心因・内因・器質因が重層的に関与して診断困難な事例が多いことが特徴的といえよう。一旦精神病像を呈すると重症化しやすい傾向があり,再発や慢性化も多く,治療に難渋する事例が少なくない。高齢者の精神障害の治療学には依然として多くの難問が残されているが,治療への反応性が異なる様々な病像が同一の診断カテゴリーに含まれていることも治療上の混乱を招く一因となっているように思われる。それゆえ,薬物療法など治療方針の選択に際しては,まずは症候学的類型を踏まえて症状を仔細に捉えていくことが重要である。 認知症や器質性精神障害の場合には,どこまでが治療すべき症状であるのかを見極,身体合併症にも配慮しながら,薬物を投与するか否かという点も含めて的確に判断していく必要がある。薬物療法を含む治療全般を,認知機能の衰えに直面する主体と周囲の関係性をいかに調整するかという文脈で捉えなおすことが求められている。(キーワード:初老期・老年期精神障害,認知症,精神病理学,症候学,薬物療法)

精神病理学的視点から見た統合失調症の回復と治療…… 鈴木國史 (名古屋大)
抄録:精神疾患,特に統合失調症の回復と治療について,精神病理学的視点から論じた。ここで言う精神病理学は,静的に症状を記述する学ではなく,病態の動きを力動的視点のもとに捉える学である。力動的視点,つまり他者との関係の中で変化する患者主体の欲望を捉えようとする視点である。そうした視点のもとでは,観察する医師は必ず一人の他者として現れ,患者の主体に作用する。記述に当たっては,統合失調症という疾患の進行に添って「統合失調症はいつ始まるのか」「医療との最初の接触と回復」「寛解過程と回復」「残遺症候」「再発をめぐって」「社会の中の統合失調症」といういくつかの項を設け,各段階で,医療と患者主体とがどのように関わり合うかを記述するよう試みた。また,病態の回復過程を,単に病的と判断される部分が取り除かれる過程と考える視点からは一旦離れ,むしろ病的事態を生活の中に取り込みながら,社会の中で,ひとつの生活を取り戻す過程として捉えるよう試みた。そうした視点こそが,精神疾患の回復という問題を考える上では,特に有用と考えられるからである。(キーワード:回復過程,精神病理学,統合失調症,医療システム)

薬物療法における回復論再考 ― ドパミン神経系のレジリアンスにおける役割の重要性を通して…… 石郷岡純 (東京女子医大)
抄録:薬物療法を精神病理学的視点から考えるため,回復論を題材に検討した。回復の概念は多様であり,薬理作用と治療目標としての回復を因果関係的に結びつけることは現時点では困難であるため,中間指標としてeffectiveness 概念による妥当性のあるマーカーを置く必要があることを述べた。また,病態生理を反転させることだけが治療ではなく,レジリアンス機能の強化を通じた回復促進という戦略もあり得ることを指摘した。ドパミン神経が回復過程において重要な役割を果たしていることを示唆する知見を紹介し,ドパミン受容体遮断薬である抗精神病薬は,レジリアンスの担い手であるドパミン神経の機能を強化し,回復を促進させる手段としてとらえるべきであると考えられることを述べた。この作用は,報酬系機能を修復し,健全な報酬予測をもたらしていると考えられ,意欲をもたらし実存的な回復へと導く効果の生物学的な実態とみなすことも可能である。 精神病状態はストレス耐性が破たんし,salience の亢進した疾患非特異的な状態であり,抗精神病薬は過剰になっている情動認知プロセッシングを改善し効果を表すと考えられる。うつ病治療における増強療法においても,抗精神病薬は回復力増強の意味合いでとらえられるべきである。(キーワード:回復,薬物療法,ドパミン,報酬系,レジリアンス)

なぜドパミンD2 受容体遮断薬は抗精神病薬となりうるのか?…… 渡邉衡一郎 (杏林大)/竹内啓善(トロント大学)
抄録:Laborit が1951 年クロルプロマジン(CPZ)の効果に注目し,Delay とDeniker が翌年にCPZの抗精神病作用を証明した。1970 年代になって,統合失調症ではドパミン受容体における過剰な神経伝達があり,抗精神病薬はドパミン受容体を遮断することで精神病症状を改善するというドパミン受容体仮説が誕生した。1990 年代には,ポジトロン断層撮影(PET)を用いて線条体におけるドパミンD2 受容体占拠率と抗精神病作用との関係についての研究が盛んに行われ,最適なドパミンD2 受容体占拠率は,65 ~80%程度であることが明らかとなり,それを実現させやすいとして第二世代抗精神病薬が主流となった。 一方1980 年代よりグルタミン酸仮説が注目されたが,この仮説に基づいた開発は現況ではうまくいっていない。他にも新しいメカニズムを謳った化合物の開発は進んでいるが,大方の期待に反してその臨床試験はことごとく失敗している。このように抗精神病薬の中心的薬理作用は依然としてドパミンD2 受容体遮断にあり,この作用を持たない薬剤が抗精神病薬として上市されたことはない。統合失調症の病因・病態がまだ解明されていないためである。

モノアミン増強薬はなぜ抗うつ薬となるのか…… 稲田健 (東京女子医大)
抄録:偶然発見された抗うつ薬の作用機序解明の研究過程から,モノアミン増強作用が発見され,モノアミン仮説が提示され検証された。モノアミン仮説は,神経伝達におけるモノアミンの作用増強により,うつ病が改善されるとする仮説である。モノアミン仮説は,どのモノアミンがより重要であるのかを検討され,セロトニン仮説とノルエピネフリン仮説に発展した。その後,短期間のモノアミン増強のみに拠らない作用機序を説明するため,受容体機能亢進仮説,BDNF(脳由来神経栄養因子)仮説が提唱された。これらの仮説を検証するため,数多くのモデル動物が考案された。代表的なモデルに,強制水泳試験における学習性無力モデルがある。これらの検討の結果,短期間の薬理作用による変化のみならず,BDNFを介した長期間にわたる神経系の変化をも説明しうるようになりつつある。一方で,うつ病の病態生理は未だ明らかではなく,うつ薬の作用機序の検討から病態モデルを説明し,その病態モデルを回復する説明から,うつ病の病態生理を説明するという循環論法になってしまっている点には注意が必要である。今後のうつ病研究においてはモノアミン仮説を超えた作業仮説による検討が必要である。(キーワード:抗うつ薬,モノアミン仮説,セロトニン,ノルエピネフリン,BDNF)

精神科治療におけるレジリアンスの思想…… 小林聡幸 (自治医大)
抄録:精神医学においては,正常と異常,健康と病気の関係は一筋縄ではいかないところがある。また病気からの回復ということを考えても,それが自然に起こりうるのかよくわからない。そのような精神現象に対して薬物療法を行う段になると,臨床家は単純な生物学モデルや力学モデルを頭に置きながら,薬用量を調節しているものと思われる。ところが,精神疾患の神経伝達物質不均衡説は十分な根拠を示されておらず,とりわけ抗うつ薬ではプラセボとの有効性の違いが少ない。まずうつ病圏の病態において,抗うつ薬の効果を,精神療法の下支え,回復の引き金という観点から考察を試みた。次に,統合失調症において,薬物療法で陽性症状が治まった後の治療課題について,人間学的均衡という概念を用いて考察した。河本は,レジリアンスは単に「抵抗力」「回復力」ではなく,より高次の自己組織化的なシステムの機構の導入だとする。ここでの議論に翻案すると,精神科治療におけるレジリアンスとは,より高次の均衡の導入でなければならない。(キーワード:回復,薬物療法,精神療法,人間学的均衡,レジリアンス)

精神病理学の今後の可能性…… 村井俊哉 (京大)
抄録:精神病理学の今後の可能性について考えるため,まず,「精神病理学」という語がどのような学を指し示しているのかについて考えた。その際,文献的にその定義の起源をたどることはせず,今日の日本の精神医学で精神病理学がどのようにイメージされているかを,筆者の個人的記憶・経験に基づき吟味するという変則的な方法をとった。結果,精神病理学の輪郭は,神経科学およびエビデンスに基づく医学に対して,何らかの意味で対置・対比される学として描き出すことができるのではないかということを論じた。その上で,神経科学・EBMが本流であり続けることが予想される今後の精神医学の状況における,精神病理学のありうる立ち位置を列挙した。考えられるいくつかの立ち位置の中で,精神病理学が精神医学の中で独自性を持った一角を堅持していくには,「オールタナティブズとしての精神病理諸学」という立ち位置がよいのではとの筆者の見解を述べた。(キーワード:一般精神医学,エビデンスに基づく医療,神経科学)
【エッセイ、 コラム】 松下正明: DSM-5雑感/濱中淑彦:精神医学における心身論の今昔/Luc Ciompi・山岸洋訳:統合失調症における情動の役割とソテリア・アプローチ/森田邦久:精神医学における仮説の構築と検証/【協賛企画】藤井康男・藤田潔・琉球病院多職種チーム:Clozapineの導入と日本の精神科医療

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POWERMOOK 《精神医学の基盤》[2] 
うつ病診療の論理と倫理
責任編集=田島治/張賢徳
B5判 208p 4000円+税 ISBN9784906502516

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特集にあたって
精神医学そのものの変質が今日の問題の根本原因であり、決して不勉強、不心得な一部の医師の問題ではない。卒後の研鑽を怠らずガイドラインに従った医療を行う善意の医師が、患者に対して心理療法とともに種々の向精神薬の投与を行うことにより、結果的に患者の人生を大きく変えてしまうこともある。長年まじめに通院服薬しているにもかかわらず、家事も育児もできないまま寝たり起きたりを続ける主婦、休職復職を繰り返した結果失業して長期に自宅療養を続ける元会社員、思春期より様々な向精神薬を服用し、社会に出られないまま本来の自分を見失っている若者などをみると、「抗うつ薬の功罪」の著者ヒーリーがこうした状況を治療によるabuse, すなわち濫用、虐待と呼ぶのも理解できる。薬価の高い新規向精神薬の登場により、本来はそれがプラセボではないことを証明しただけであるはずの臨床試験の結果が金科玉条の科学的根拠、エビデンスとされ、科学の衣をまとったマーケティングに利用されてしまう。ギリシャ神話の触るものが何でも金に変わってしまうミダス王の悲劇のように、臨床試験の結果が大きな利潤を生む金の卵とされたことに問題の出発点がある。(田島治)

対談「最近のうつ病診療の傾向をどう考えるか」…… 田島治(杏林大学)/張賢徳(帝京大学溝口病院)
対談の骨子(見出し)評価尺度のスコアだけで重症度を判定するのは安易/白か黒か,善か悪かという論調ばかりが盛り上がっている/DSMを入口としてケアを考えることは合理的な方法/“case vignette”や“anecdote”の積み重ねも重要/2 か月以内に収束する場合はnormal の可能性が高い

徹底討論 「うつ病の理解と抗うつ薬の適切な使い方」 …… 樋口輝彦、神庭重信、張賢徳
討論の骨子(見出し) うつ病は“症候群”と呼ぶべき病態/軽症のほうが診断も治療も難しい/診断に自信が得られたら,そこが抗うつ薬を使うポイント/ストレス脆弱性の概念はマスメディアにも発信すべき/

今日のうつ病診療における問題点と課題 …… 松浪克文 (晴和病院院長)
抄録:DSM診断学はその行動主義的視点,操作主義的診断法により精神医療の標準化あるいは科学化に貢献しているといえるが,その反面,気分障害圏の現実の多様な臨床像を把握する際には診断行為に対して一種のパラダイム的制縛を課すものともなっている。とくに,抑うつ性障害一般に対するunitary theory は症例理解に対する潜在的なパラダイムと言えるだろう。しかし,“新型うつ病”などの議論に見られるとおり,我が国の臨床家が事実上,unitary theory を維持してはいないことがあり,その場合,MDDのうちに中核的うつ病群と非- 中核的うつ病群という質的に異なる二群があるという実践的認識が行われているものと思われる。そして,このdichotomy は自覚されていないことが多い。とくにわが国では,臨床家がこの両者を等しく“うつ病”と呼んで,同じ障害であるかのように議論するために混乱が生じている。さらには,この混乱の中で,MDDと発症にかかわる諸要因との関係に線形の因果性を想定するような論じ方を許容する傾向が広まっている。少なくとも中核的うつ病についてはこの捉え方を承認することはできない。本稿では線形の因果論ではなく,中核的うつ病発症にかかわる多要因が構成する重層的因果性という理解を提唱し,症例を提示して解説した。(キーワード:MDD,DSM診断学,unitary theory,中核的うつ病,重層的因果性)

うつ病の論理と倫理 医療人類学的視点から ………北中淳子(慶應義塾大学文学部)
抄録:うつ病の世界的流行はしばしば新自由主義経済との関連で語られるが,この新たなうつ病言説において労働者は,抗うつ薬をエンハンスメント・テクノロジーとして用いて,自らをより柔軟で強靱な主体へと書き換えることが期待されている。その結果,うつ病の社会的・政治的な意味が薄れ,人々の意識は,新たなバイオ︲サイコロジカルな自己管理へと向けられるのではと懸念する声も少なくない。それに対して日本におけるうつ病言説は,1990 年代からうつ病を過労の病,ストレスの病として表象し,むしろその社会的・構造的原因に焦点をあてたところにその特徴がある。うつ病を,真面目で,他者配慮的な,伝統的労働倫理を内在化した人びとの病として表象することで,このうつ病言説は,あらたに社会批判としての役割をも帯び始めた。しかし,このようなラディカルな再概念化は,うつ病を集団で管理することの必要性をも生み出し,現在国家レベルでの,メンタルヘルスのスクリーニング,ストレスチェックの義務化とその在り方が議論される状況となっている。このように,新たな治療の論理が台頭する中で,今後日本精神医学のうつ病論がどのような主体論を産みだすのかについて考察を行った。キーワード:うつ病,文化,ストレス,レジリエンス,エンハンスメント・テクノロジー

マスメディアとうつ病…………… 岩波明(昭和大学医学部精神医学講座)
抄録:最近,さまざまなメディアにおいて,精神医学や精神医療に関する記事が取り上げられるようになっている。その内容としては,うつ病や発達障害に関するものが多い。このように精神医学に関する報道がひんぱんに行われるようになったのは,比較的最近のことである。かつて精神疾患は社会的にも医療的にもタブー視されてきたが,近年精神医学に関するニーズが急速に拡大している状況がこの背景に存在している。本稿においては,マスメディアと精神医学のかかわりについて,これまでの状況を回顧するとともに,うつ病を中心に実際の報道記事について具体的に検討を行った。マスメディアの記事を検証すると,適切な内容のものが大部分である。しかしながら,一方でジャーナリズムはセンセーショナルでアピールの強い記事を求める傾向が強いため,事実とははっきり言えない,あるいは十分に検証されていない報道も散見される。今後,マスメディアの精神医療に与える影響について,精神医学の側からも十分に検討することが求められている。(キーワード:マスメディア,ジャーナリズム,うつ病,気分障害)

うつ病診断・治療の論理と倫理 過剰診断の問題,過少診断の問題 ……… 張賢徳(帝京大学溝口病院)
抄録:2013 年にアメリカ精神医学会の診断基準DSM(Diagnostic and StatisticalManual of Mental Disorders)が改定され,第5 版(DSM-5)になった。この改定でのうつ病(Major Depressive Disorder)診断に関する大きなトピックは,「死別反応の除外基準」が廃止されたことである。これによって,ライフイベントの内容に関わらず,症状,持続期間,苦痛/ 機能障害の点でうつ病の診断基準を満たすなら,それはうつ病であるというDSM-5 の明確な方針が示された。その背景には,治療し得るうつ病が見逃されてはいけない,つまり過少診断を防ごうというDSM の論理がある。しかし一方で,正常な抑うつ反応まで病気にされかねないという懸念の声もある。そもそも,DSM のうつ病診断は広すぎて,過剰診断を生み出しやすいという指摘は以前からあった。DSM にせよICD-10 にせよ,生体エネルギーの低下や精神運動抑制を必須症状に入れていないため,うつ病の概念と診断基準が広いのである。 うつ病の過剰診断による弊害で最も懸念されるのは,不必要な薬物療法だろう。軽症うつ病に対して,抗うつ薬とプラセボで効果に有意差がないという調査結果がある。しかし,これをもって,「軽症うつ病には治療が必要ない」とは言えない。プラセボ対照の治験では,プラセボ群にもサポーティブなフォローアップ診察が行われるのである。薬物療法以外のそのような治療環境が軽症レベルには効果を発揮している可能性がある。実臨床では,軽症うつ病でも治療方針を立て,フォローアップしていく診療姿勢が望ましいと考える。薬物療法だけが治療ではない。論理的にも倫理的にも最もよくないことは,過少診断と過少治療であると筆者は考えている。(キーワード:うつ病,正常な悲哀,死別反応,過剰診断,過少診断,DSM-5,ICD-10)

臨床精神病理学的視点から見たうつ病の診断学………古茶大樹(慶應義塾大学精神神経科)
抄録:内因性うつ病の診断学には,精神医学総論の理解が欠かせない。それは究極的には「精神医学において疾患とは何か」という問いと結びついている。われわれは「精神障害には疾患であるものと,そうでないものとがある」という立場を前提としているが,脳科学は「あらゆる精神障害は脳の疾患である」という立場をとる。内因性精神病の特殊性は,前者の立場からはじめて明らかになるもので,その疾病性は,精神医学固有の了解概念に基づいている。歴史的には,うつ病が疾患単位として確立したことは一度もない。どの時代も類型概念として提唱されたもので,理念型としての役割を果たしてきたといえよう。うつ病の理解にはシュナイダーによる感情の精神症候学が役に立つ。このような精神医学総論的な背景を理解した上で,内因性うつ病の特徴について論じた。うつ病は,心の全体像の変化であり,それは「理由なき生命性の停滞」と表現することができ,全人性・全身性・生命性の変化によって特徴付けられる。実践的な臨床診断には,鑑別診断,鑑別「診断」,鑑別類型学の違いをしっかりと認識しておく重要性についても述べた。(キーワード:内因性うつ病,了解,理念型,鑑別診断)

今日のうつ病診療における課題と展望……中村純(北九州病院北九州古賀病院院長)
抄録:わが国では,うつ病による受診者がこの15 年間でおよそ3 倍も増加している。社会のあらゆる分野でストレス負荷が増大してうつ病者が増加しているとも考えられるが,精神科医が現在用いている症状項目と持続時間だけで診断する米国精神医学会の診断基準DSM-IV,DSM-5 もうつ病診断の増加に関連していると思われる。そして,増加したうつ病の多くは軽症うつ病であり,SSRI やSNRI などの薬物療法だけでは寛解が得られない症例も増加している。SSRI やSNRI などの新規抗うつ薬にはそれぞれ特徴があるため,われわれは血中MHPG値やHVA 値さらに血中BDNF 値の動きから薬剤選択ができるのではないかと考えている。さらに軽症うつ病の場合には,薬物療法だけでなく,支持的精神療法,認知行動療法,対人関係療法などの精神療法,運動,休養などを補完しなければ寛解を得ることはできないことが多い。企業でうつ病などに罹患し休職者が増加し,生産性を低下させている企業も多いが,臨床医の評価と産業保健スタッフの診方には違いがあり,それぞれの労働者の事例性をよく吟味する必要がある。これまでの研究では,復職継続ができている人と継続できなかった人との回復時点での認知機能検査や簡便な心理検査結果に明確な違いは見いだせていない。休職,復職の判断,さらに復職継続の可否などについても精神科医は産業医と密接な連携を行い,労働者のメンタルヘルス改善に繋げることができれば,精神科医の存在意義を高めることになると思われる。(キーワード:うつ病,多様性,生物学的指標,脳由来栄養因子,復職支援)

日常診療におけるうつ病(1)プライマリケア医の立場からの実践的治療論 …… 井出広幸(信愛クリニック)
抄録:プライマリケア医の診るうつ病は,身体愁訴をきっかけとし,検査を進めても異常が見当たらないときに一歩進んで精神状態をチェックした結果,うつ状態を認めるものである。 一歩踏み込んだ問診により,短い時間で患者の背景と事情を把握し,患者との関係を確立する。MAPSO問診というツールを用いて,プライマリケア医が診ることができる状態なのか,精神科専門医を紹介すべきかを判断する。若年者,精神科既往のある症例,過食・自傷・自殺企図のある症例,強い希死念慮をもつ症例,双極性を疑う症例,PTSDが明確な症例,精神病症状を認める症例は,原則として精神科専門医紹介とする。内科的な原因が見当たらない身体愁訴の背後に,単純な抑うつと不安を認めた場合は,SSRI 等を用いて治療を行う。ベンゾジアゼピンの使用を極力控えながら,うつと不安を改善したとき,本来の標的症状であった身体愁訴は解決する。 このような患者像は,精神科外来を受診する患者像とは異なっていて,内科外来の中にごく一般的にみられる。身体科医が今まで診てきた患者を,さらに一歩踏み込んで診ることにより,より深い医師︲患者関係を築き,身体愁訴を解決して患者の需要により応えることが,医療の進化につながることを示した。(キーワード:プライマリケア,うつ病,MAPSO問診,身体愁訴)

日常診療におけるうつ病(2) 総合病院から本物のうつ病を再考する…… 大坪天平(JCHO 東京新宿メディカルセンター)
抄録:厚生労働省の患者調査によれば,2000 年前後を境にして,全国の気分障害推定患者数が40 数万人レベルから,100 万人レベルへと2 倍強に急増し,患者の特徴として軽症化が指摘されている。このことと,次々と発売された選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)を中心とする新規抗うつ薬との関連は否定できない。この流れは,製薬メーカーによる疾患啓発活動に各精神科関連学会や医師も自ずと協力してきた結果ともいえる。さらには,非定型うつ病,双極スペクトラム障害概念の広がり,発達障害の併存,現代型うつ病の流行など,様々な概念が混在し広がり,うつ病の中核群が不鮮明になっている。しかし,このような時だからこそ,改めて本物のうつ病について再考する必要があると考えられる。うつ病に関する推論をたてる上で必要なことは,直観的思考であり,その理由づけとなるものは,医学の先人たちが遺した英知である。気分障害,つまりうつ病と双極性障害の起源の主流はやはりKraepelin の躁うつ病にあるといってよい。Kraepelin は約100 年前に,躁うつ病の実態は縦断的には周期性・反復性・再発性であり,横断的には混合状態であると指摘した。この偉大な先人の指摘が,現在どのように生かせるのか,DSM-5 の特定用語「混合性の特徴を伴う」とBenazzi の混合性うつ病の概念を取り入れながら考察する。(キーワード:疾患啓発,不均質,軽症化,双極性,周期性,混合状態)

日常診療におけるうつ病(3) 労働者のメンタルヘルスケアの視点 …… 桂川修一/黒木宣夫(東邦大学医療センター 佐倉病院)
抄録:わが国において精神疾患の患者数の増加を背景に平成25 年より厚労省においては5 疾病5 事業の医療計画が策定され,新たに精神疾患が重点的な対策として追加された。この精神疾患には認知症とならびうつ病など気分障害が含まれている。うつ病の増加はわが国に留まらず世界的にも認められているが,新たな医療計画が施行される以前から勤労者医療においては,うつ病等のメンタルヘルス対策は重要視されてきた。法律は数回にわたり改正され,今後も現状に見合う検討が続けられる予定となっている。本稿では,労働者のメンタルヘルス対策の経緯につき概略を述べ,うつ病等で休職した労働者への職場復帰支援対策と回復した者の復職準備性を高めるための医療機関で進められている治療プログラムについて事例を紹介しつつ解説を行った。職場にとって休職者が病前と変わらず就労ができることがその回復した証となるが,医療側にとっては就労が継続できることはその目的の一つではあるが,最も重視している点は再発再燃予防であり,そのためにはさらに効果的な治療法を模索する必要がある。

薬物療法の効果とリスク 抗うつ薬の有効性と安全性をどう評価するか…… 仙波純一(さいたま市立病院精神科)
抄録:現在抗うつ薬は次のような問題に直面している。1)抗うつ薬は軽症のうつ病に対しては効果がないという意見があること。2)若年者では抗うつ薬によって自殺関連行動が増加する可能性があると警告されたこと。3)抗うつ薬による精神面への好ましくない作用の出現が危惧されていること。4)妊産婦への抗うつ薬投与の安全性についてさまざまな研究が発表され評価がむずかしくなっていること。これらの問題は抗うつ薬の効果とリスクを再評価すべきことを示している。しかし,抗うつ薬の軽症うつ病に対する効果はめざましいとはいえないものの,一定の効果は期待できそうである。また,若年者を除くと抗うつ薬投与によっても自殺関連行動は増加しないことがわかった。一方で,出現はまれではあるが抗うつ薬による精神面への副作用の可能性については今後の研究の余地を残している。現時点では,抗うつ薬の使用にあたっては,通常の副作用だけでなく,自殺関連行動や精神面への副作用などにも留意しつつ,慎重に用いるべきである。また軽症のうつ病に対しては,薬物を用いない治療法も提案すべきである。この時には認知行動療法などの特定の精神療法だけでなく,丁寧で常識的な支持的精神療法の効果も評価されるべきであろう。キーワード:うつ病,抗うつ薬,効果とリスク,精神面の副作用

うつ病の精神療法再考……中村 敬(東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科)
抄録:本稿では,うつ病に対する主だった精神療法として,認知行動療法(Beck の認知療法,行動活性化療法,マインドフルネス認知療法),対人関係療法,森田療法について概観した。次いで日本のうつ病臨床においては,どのような疾病モデルのもとに,誰が,いかなる治療セッティングで精神療法を実施するのかという現実の状況を考慮する必要があることを論じた。我が国のうつ病診療においては,医学的モデルにもとづき,患者の休息を図り,抗うつ薬を主とした薬物療法を実施することが一応のコンセンサスである。こうした初期治療の原則との整合性を有するアプローチを構想すること,および短時間の日常診療においても実施できるようなアプローチを工夫することが必要である。他方,若年層に広がる現代的な“うつ病”に対しては,我が国のうつ病診療の常識から離れて,今一度精神療法を主眼にした接近を図ることが求められている。その際の課題は,いかに患者を治療へ動機づけ,活動性,能動性を向上させるか,そして社会復帰過程で生じがちな意気阻喪からいかに立て直しを図るかということに存している。ここにおいて,特定の治療法に固守せず統合的な観点から患者固有の問題を明らかにし,それに応じて柔軟にアプローチを選択する必要があることを論じた。(キーワード:うつ病,精神療法,認知行動療法,マインドフルネス,対人関係療法,森田療法)

うつ病に対するneuromodulation……高宮彰紘(駒木野病院/国立精神・神経医療研究センター病院)/鬼頭伸輔(国立精神・神経医療研究センター病院
抄録:従来の治療では改善しない難治のうつ病に対する治療戦略として,近年neuromodulation の発展が著しい。その背景として,うつ病の病態生理の仮説が,“化学的不均衡”モデルから“神経回路”モデルへ移りつつあることが挙げられる。電気刺激による神経回路の修飾はうつ病に対する有効な治療となり得ることが海外の研究から示されている。各種のeuromodulation は,神経回路の修飾という機序は共通しているが,臨床的に各々異なる特徴を有している。tDCS は難治例に対する有効性は乏しいが,他の治療法に対する増強療法としての位置づけが期待される。TMSはすでに海外ではうつ病の治療として認可されており,現在は有効性の向上のための研究が盛んである。ECTは他のneuromodulation を遥かに凌ぐ即効性と有効性があり,現在は副作用の軽減のため新しいけいれん療法が模索されている。DBSは脳への電極の埋め込みという侵襲性はあるが,最重症例に対しても持続的な効果が示されている。Neuromodulation は治療法としてだけでなく,うつ病の生物学的基盤の理解の向上にも寄与するという意義があり,今後,わが国でも導入していくのか倫理的な観点も踏まえて慎重に議論されることが望まれる。(キーワード:neuromodulation,治療抵抗性うつ病,tDCS,TMS,ECT)

開発中の抗うつ薬と今後の薬物療法の展望…… 竹林 実(国立病院機構呉医療センター・中国がんセンター 精神科・臨床研究部 精神神経科学)/山脇成人(広島大学 大学院医歯薬保健学研究院 応用生命科学部門・精神神経医科学
抄録:抗うつ薬の開発は,なかなかモノアミンを超えるものがなく,全般的に停滞している状況である。現在使用されている主要な抗うつ薬の独占販売期間が終了して後発品が使用できる状況となっても,依然としてドーパミン系を含むモノアミントランスポーターや受容体などの複数の作用点を有するモノアミン系の抗うつ薬やその合剤が臨床現場にでてくる予定である。一方でketamine の抗うつ効果の発見に端を発したグルタミン酸受容体関連の抗うつ薬開発が効果発現の早さや難治例への効果において期待されている。 NIMH主導のRDoC(Research Domain Criteria)プロジェクトなど,精神疾患の診断学を脳科学の見地から再分類する動きがある。これらを背景に,今まで製薬会社主導で科学的でなかった向精神薬の命名・分類法を生物学的所見を盛り込んだ多軸評価からなる新しい命名・分類法に変革する提案が,ECNP・CINP のNomenclature Taskforce からなされている。 近い将来,症候群であるうつ病から分子病態・神経回路異常・バイオマーカーなど生物学的に均一なサブタイプが明確化され,産学官連携体制(PPPs)のもと診断マーカーと治療薬の開発が同時にすすむことを期待したい。(キーワード:抗うつ薬,ケタミン,グルタミン酸受容体,命名・分類法,CINP,PPPs)

【エッセイ、 コラム】広瀬徹也:診察室の外で─ 3 題/人見一彦:治療的精神医学の原点/インタビュー、CINP理事長、山脇成人氏に聞く CINP Thematic Meeting(Dublin, 2015) の現場から/栗原仁:フーコーと精神医学/(協賛企画)加藤正樹/治療に難渋するうつ状態の診断と寛解への次の一手

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POWERMOOK  《精神医学の基盤》[3] 
精神医学におけるスペクトラムの思想
責任編集=村井俊哉/村松太郎
B5判 212p 5000円+税 ISBN9784906502523

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特集にあたって(はじめに)(村井俊哉)

[対談]精神医学におけるスペクトラムの思想………(村井俊哉×村松太郎)
対談の骨子(見出し) DSM が苦戦したカテゴリー対ディメンション問題/期待される「DSM-5に対する批判」/患者と治療者とのインタラクティヴな作業/聞き入れられない説明では意味がない/ディメンションはノーマライゼーションに寄与したか/「目的に基づく精神医学」は日和見主義的に判断/

▼スペクトラムの概念
分子遺伝学からみたスペクトラム精神医学 ………(近藤健治/池田匡志/岩田仲生)

抄録:古くから行われてきた精神医学における遺伝子研究は,2000 年代に入り急速に発展した。ヒトゲノム配列が完全に解読され,シーケンサーの機能が改善し,またゲノムの情報処理技術が進歩したことにより,全ゲノム関連解析や全エクソン・ゲノムシーケンスなどの新たな手法が導入されたからである。加えて,ときに国境を越える共同研究体(コンソーシアム)が各地で結成され,各精神疾患のサンプルの整備が進んだことにより,多岐に渡る詳細な探索を単一の精神疾患だけでなく複数の精神疾患で行うことが可能となっている。
その結果われわれは,精神疾患は考えられていた以上に複雑な構造をもっており,従来のカテゴリー分類では真の病態生理に迫ることが困難であるということを認識させられている。つまり,新たな評価法・概念が導入されるべき時期が到来しているのである。
本稿では疾患特異的な感受性遺伝子の解明を目指し行われたそれらの代表的な研究結果を振り返りつつ,そこから明らかとなった精神疾患の遺伝的要因の共通性についても触れることによって,「スペクトラム精神医学」を分子遺伝学的な観点から概説する。
(キーワード:全ゲノム関連解析(genome-wide association study)ポリジェニック・コンポーネント解析(polygenic component analysis),Cross-phenotype)

臨床研究から捉えたスペクトラム………(武井教使)
抄録:精神医学関連において用語“スペクトラム”の登場は古く,統合失調症の治療的枠組みに1960 年代に既に用いられ始めた。スペクトラムの当初の使用は,治療への反応類似性などを指針に,単にある障害群の固まりを大きくひとくくりにまとめたものに過ぎなかった。その背後に明確な病態の共有を想定したものではない。しかし,20 世紀後半世界共通の診断基準(ICDやDSM)が確立されたことで,科学的データの集積が実現し,スペクトラムはより積極的意味をもつに至った。信頼に足るデータ集積の結果,従来想定されていた以上に,障害の単位を越えての共通性,あるいは,診断亜型間の類似性(特性の共有)が明らかになって来た。つまり,想定以上の連続体(まさに,スペクトラム)の存在である。一例は,ゲノムワイドスニップ調査による,5 障害(統合失調症,双極性障害,大うつ病,自閉症スペクトラム障害,注意欠如・多動性障害)間の強弱の差はあるものの遺伝子相関である。研究領域では,症候や特性,内的表現型endophenotype のより客観的評価の精度向上の意図からも,カテゴリー評価に勝る,次元的(連続的,数量的)評価の重要性がますます認識されだした。今日広く受け入れられているスペクトラムは限定的に用いられているが,数多ある精神障害の本態(病態)は,遺伝的関与,環境要因による影響,障害の形成される時期(とりわけ神経発達期)に応じ,多層的,階層的複数の軸(次元)から理解されるかもしれない。
(キーワード:診断間の特性共有,内的表現型,次元的把握)

スペクトラム概念と精神科疾患:基本理念としてはスペクトラム概念は反DSM 的であること………(兼本浩祐)
抄録:スペクトラムという考えは,疾病分類に関する伝統的なカテゴリカルなアプローチに対するアンチ・テーゼとしてのディメンジョナルなアプローチと不可分の関係にある。スペクトラム概念も,ディメンジョンとカテゴリーの対比も,耳新しく装いを新たにしてはいるが,20 世紀前半のドイツ精神医学においてすでに精神医学の中心的な問いかけの1 つであった。本稿では,まずは,統合失調症をモデルとして具体的にスペクトラム概念がどのように展開されているかを考え,そこから連続性とは何か,発病とは何かという一般論に一度もどった上で,うつ病,双極性障害,自閉症を個々に検討し,さらにまた一般論に戻るといった仕方でこの問題を考えてみた。DSM診断体系は本来は徹底して原因論を排除し,当座の症候のみ,あるいは現象のみから精神疾患の区分を行うことを目指す体系であるから,特定の原因が様々の表れの形を取るというスペクトラム概念とは原理的には相いれない。そういう意味で表層の症状を貫く縦軸としてのその背景に存在する共通構造を問題とするスペクトラムという概念が近年隆盛となっているのは,DSMの広汎な使用と相互補完的であるともいえる。
(キーワード:スペクトラム概念,ヤスパース,発展,過程,カテゴリカル,ディメンジョナル,DSM診断)

DSMにおけるスペクトラムの思想 ………(黒木俊秀)
抄録:個々の精神疾患同士の境界は明瞭ではなく,ほとんどの疾患群は連続性にスペクトラムとして分布している可能性が示唆されている。その認識に基づいて,DSM-5 開発の当初,精神疾患診断のカテゴリー的モデルからディメンジョン的モデルへのパラダイム転換が提唱された。その主たる根拠となったのは,1990 年代以降の計量心理学領域の数々の知見であり,①精神疾患分類の2 因子構造モデルの提唱,②パーソナリティ特性の5 因子モデルFive-Factor Model(FFM)の発見,および③タキソメトリック分析による精神疾患の潜在構造の解析の3 つがとくに重要な影響を与えた。こうした背景のもとにDSM-5 ではDSM-IVに構造的な改訂が加えられた。
(キーワード:精神科診断,ディメンジョン的モデル,因子分析,5 因子モデル,タキソメトリック分析)

スペクトラム論の源流………(山岸洋)
抄録:医学史および精神医学史におけるスペクトラム論の起源を歴史的に考察した。ギリシア・ローマの体液学説は今日のスペクトラム論を先取りしたものとも言える。なかでも特にカッパドキアのアレタイオスが,メランコリーとマニーとの関係で後の単一精神病論と関連するような記述を行なっていることが注目される。19 世紀のドイツ精神医学における単一精神病論は,単一不可分の心(Seele)を前提としており,すべての精神障害は心固有の法則にしたがって起こるのであるから,病因の種類によらず,同一の経過パターンをとるだろうと考える。また,ほとんどの単一精神病論者は,精神障害は,心の中心点をなす心情(Gemüt)の病であるメランコリーによって発症すると考えていた。メランコリーを通過したあとに,さらに病像が進行すれば躁状態や妄想状態が現われてくるとされた。ただしこの図式では病気がどこまで進行するかを前もって予測することはできない。単一精神病論は19 世紀中頃に強い影響力をふるっていたが,グリージンガーがメランコリーを介さずに妄想をもって発症する精神病の病型(当時「一次性狂気」,あるいは「パラノイア」と呼ばれた)を承認したことにより,急速に衰退し,やがてクレペリンの疾患単位論に精神医学の支配的地位を譲ることになった。精神医学の歴史の大きな流れの中で見るとカテゴリー論よりもスペクトラム論の方が古い起源をもつと言えるのかもしれない。少なくともこの200 年の精神医学の流れは,近年の流れとは逆に,スペクトラムからカテゴリーへと向かっていたのである。
(キーワード:スペクトラム,カテゴリー,精神医学史,単一精神病,カッパドキアのアレタイオス,グリージンガー)

スペクトラムの概念と反精神医学………(深尾憲二朗)
抄録:近年,第二次反精神医学運動とも呼ぶべき精神医学に対する新たな批判運動が湧き起こっているが,スペクトラムの概念は反精神医学運動にとってどのような意味をもつだろうか? 精神医学におけるスペクトラムの概念の使用法は現在すでに混乱しており,各疾患概念の連続性を意味する「横のスペクトラム」と健常との連続性すなわち次元を意味する「縦のスペクトラム」が明確に区別されていない。歴史を溯れば,統合失調症と双極性障害を区別しない単一精神病学説が影響力をもっていた時期があるが,将来,再び統合失調症スペクトラム障害と双極性スペクトラム障害は合体して「単一精神病スペクトラム」を形成する可能性がある。またそれだけでなく,「単一精神病スペクトラム」は健常と接続されて次元の要素を含むことになるだろう。このようなスペクトラムの概念はあらゆる差別に反対するラジカリズムを含意している。それが敷衍されれば,男女の性別を連続体と見なす「性別スペクトラム」や,人間と動物を区別しない「動物スペクトラム」の構想に行き着くが,現実の精神障害との関係においては,単純に貫徹されることはできない。「性別スペクトラム」における性別違和の位置づけ,あるいは「動物スペクトラム」における知能の高さによる価値づけの問題は,「スペクトラム・ラジカリズム」と現実の精神障害との接点に生じる複雑な様相の例である。

▼スペクトラムと精神疾患
統合失調症におけるスペクトラムというメタファーの導入の意義と問題点………(前田貴記/沖村 宰/野原 博)
抄録:スペクトラム(spectrum)とは,複雑で多様な事物・事象について,特定の成分を軸として並べ直してみたときに,それら対象群が或る像を描いて新たに並び現れたもののことである。DSM-5 がスペクトラム概念を導入した背景には,“カテゴリー診断”から“ディメンジョン診断”への移行という流れにおいて,スペクトラム化することによって,カテゴリー診断とディメンジョン診断を両立させたいという意図があると思われる。スペクトラム化において重要なのは,軸の選定であるが,統合失調症スペクトラムについては,どのような軸のもとに類縁障害群を並べ直したのかが定かではないという点が大きな問題であり,スペクトラムとして何の像も結んでおらず,メタファーに留まっていると言わざるを得ない。少なくとも,診断基準にメタファーを使用してはならないであろう。
Jaspers-Schneider による伝統的な精神科診断学からみれば,DSMにおいては,実体としての「類(Gattung)」と,理念型としての「類型(Typus)」とが,障害(disorder)の名のもとに,同列に扱われている点が問題である。統合失調症をはじめ多くの精神障害は,未だに「類型」に留まっているということを忘れてはならない。物理的な実体である「類」をスペクトラム化するための軸を選定することは可能かもしれないが,そもそも「類型」をスペクトラム化するための軸を選定することは原理的に不可能なのかもしれない。スペクトラム概念の導入は「類」としての精神障害を前提としていることの現れであり,あらためて自然科学と精神病理学の界面に生じる精神科診断学の問題の構図について考える必要があろう。
(キーワード:精神科診断学,カテゴリー診断,ディメンジョン診断,理念型(Idealtypus),類型(Typus),類(Gattung))

双極スペクトラム:光との関係性から読み解く試み………(寺尾岳)
抄録:双極性障害とうつ病を独立したものとみなすDSM-5 の立場とは逆に,これらを連続したものとみなす立場があり,そこではこの連続体は双極スペクトラムと呼ばれている。双極スペクトラムは,双極I 型障害,(双極II 型障害を含む)軽微双極性障害,単極性うつ病を含み,この順にエネルギー水準が低下すると考えられる。しかしすべての要素が連続しているわけではなく,薬物反応性に関しては,双極I 型障害と軽微双極性障害が気分安定薬に反応し,単極性うつ病が抗うつ薬に反応するという違いが認められ,軽微双極性障害と単極性うつ病を分ける変曲点(連続しつつも違いをもたらすもの)が存在すると考えざるを得ない。おそらくそれは疾患の背景に存在する気質の分布の違いであって,発揚気質や循環気質などが挙げられる。さらに,発揚気質者は光を多く浴びており,循環気質者は光をあまり浴びていないことを考慮すると,気質には光が関連していることが示唆される。他方,疾患レベルにおいては,双極I 型障害,(双極II 型障害を含む)軽微双極性障害,単極性うつ病のエネルギー水準に,光の照射量が対応すると考えられる。これらを発症した後においても,光を照射したり,遮ったりして気分の安定化をもたらすことが期待できる(light modulation therapy)。光の照射量は連続量であるので,双極スペクトラムは光のスペクトラムに対応していると考えることができる。以上をまとめると,双極スペクトラムもその背景にある気質も光のスペクトラムと関連していると読み解くことができる。
(キーワード:bipolar spectrum, light, bipolar I disorder, bipolar II disorder, temperament)

個人が悩みをかかえきれなくなったとき,社会的に求められる機能を果たせなくなったとき,精神科医療は何ができるのか:うつ病概念と,それが指し示す範囲すなわちスペクトラム………(大前晋)
抄録:英語でいう「デプレッション」は,「(通常の)抑うつ」,「(通常ではない)抑うつ」,「喜びの喪失」という3 つの異なった症状,これらに順に対応する「悲しみ」群,「抑うつ神経症」群,「うつ病」群という3 つの異なった診断に分類される。個人が悩みをかかえきれなくなったとき,社会的に求められる機能を果たせなくなったとき,精神科医療が寄与すべき要所は,二段階に分けられる。
第一段階では,個人の悩みや社会的機能不全のひとつひとつが,精神科医療ではなくあくまで個人あるいは社会の問題としてとりあつかわれるべき問題なのか,それとも精神科医療にゆだねられるべき問題なのかを判断する。この段階でもっとも必要なのは,「(通常の)抑うつ」と「(通常ではない)抑うつ」の区別よりもむしろ,その個人に必要なのは仕事なのか,金銭なのか,話を聞いてくれる人間なのか,そして個人は周囲にこれらを求められる環境にあるか否か,という評価である。
第二段階では,精神科医療にゆだねられるべき問題のもととなる障害を鑑別し,それにもとづいた治療をおこなう。その際に「(通常ではない)抑うつ」と「喜びの喪失」の鑑別,すなわち「抑うつ神経症」群と「うつ病」群の鑑別が要求される。
「抑うつ神経症」群ならば薬物療法は対症療法にとどまり,対話や薬物療法で苦痛をやわらげながら,状況の改善をはかっていく,あるいは時間の流れを味方につけて事態の好転を待つことが,治療の目標となる。
「うつ病」群は精神療法が回復をもたらすことはなく,抗うつ薬,とくに古典的な三環系抗うつ薬や電気けいれん療法が有効である。うつ病の人を励ますのは的外れどころかしばしば有害だが,悲しみにある人や抑うつ神経症の人に対しては,その限りではない。しばしば適切かつ有効な手立てである。
(キーワード:悲しみ,大うつ病性障害,DSM,神経症,うつ病,喜びの喪失)

自閉症スペクトラムの意義と問題点………(十一元三)
抄録:本稿の前半では,自閉症の登場から現在の自閉スペクトラム症概念に至るまでの変遷について展望した。そこではKanner(1943)およびAsperger(1944)の報告した症例の特徴を確認しながら,米国精神医学会(DSM)の改訂過程をたどり,現在のDSM-5 が提示する2 つの基本特性,すなわち対人相互性の障害および同一性への強迫的こだわりに深化,集約されてきたことを説明した。次に,DSM-5 では,本症の中にDSM-IVのような下位グループを区別せず,さらに非臨床群との間にも連続性を示唆するような概念となっていることを述べた。後半では,自閉スペクトラム症という診断概念の登場がもたらした意義として,精神医学の症候論の革新と拡張,本症をベースに併存した従来疾患の症状を知ることによる精神科診断学の向上,力動精神医学概念の妥当性の再点検の促進,および司法精神医学を始めとする諸分野において従来概念を見直す必要性の明示を挙げた。最後に,本概念が抱える問題点ないし課題として,現在の診断概念では臨床像の点で広大な多様性を含んでしまうこと,および2 つに絞り込まれた基本特性が同時に存在する必然性が不明なこと等を述べた。

強迫スペクトラム障害の概念と意義,そして問題点 ………(松永寿人)
抄録:強迫スペクトラム障害(obsessive-compulsive spectrum disorder; OCSD)は,1990 年頃,Hollander らが提唱したもので,強迫性障害(obsessive-compulsive disorder; OCD)を中核とし,「とらわれ」,「繰り返し行為」を症候学的特徴として共有する疾患群である。この一群では,病因や病態の共有,さらに疾患間の相互関連あるいは連続性で説明しうる可能性が想定されている。当初から,OCSDには摂食障害や衝動制御障害,行動嗜癖,チックやトウレット障害,自閉症などが含まれ,カテゴリー横断的な特性を有し,強迫性︲衝動性といった連続性,そして多様性は広範に及ぶ。DSM-5 の改訂プロセスでは,OCD
を不安障害として捉えることの限界などから,この概念が注目され採用が検討された。その結果,OCDに加え,身体醜形症,抜毛症,皮膚むしり症,ためこみ症などからなるobsessive-compulsive and related disorder(OCRD)という新たなカテゴリーが新設され,不安障害から分離されるに至った。しかしながら,OCRDの診断カテゴリーとしての妥当性検証は,いまだ十分とはいえず,この構成からスペクトラム特性を読み取ることは難しい。またこれの臨床的有用性や信頼性に関してもさらに検討が必要である。特に「とらわれ」や「繰り返し行為」は非特異的な精神症状であり,様々な精神疾患で観察される。このため,このカテゴリーの妥当性や特異性を支持する臨床指標の特定は,強迫スペクトラム概念の正当性を明らかにする上でも重要なものとなる。
(キーワード:強迫スペクトラム,強迫症および関連症群,DSM-5,強迫性障害,とらわれ,繰り返し行為)

神経症圏障害(摂食障害,不安障害,パーソナリティ障害)のスペクトラム:社交不安スペクトラムと境界性パーソナリティ障害スペクトラム,およびプロトタイプ診断と診断横断的治療………(永田利彦)
抄録:神経症圏(摂食障害,不安障害,パーソナリティ障害)の精神障害は,従来から診断学的に正常と精神病圏の中間に位置すると考えられていた。それに一致するように,近年の研究結果は,正常から精神障害レベルまで連続体であり,明解な境界線はないことを示している。このようにディメンジョナルな側面を有している上に,現在の診断システムが併存症を許しているため,操作的なカテゴリー診断では,どうしても異質性が高く,治療上多くの混乱をもたらしてきた。このような現状を改善する1 つの提案として,併存症診断を排し,プロトタイプ診断を行い,それに基づいたスペクトラム的視点から診断横断的な治療を行うことである。そこで,摂食障害,不安障害,パーソナリティ障害といった神経症圏の精神障害に共通するスペクトラムとして,幼少時の行動抑制︲全般性の社交不安スペクトラム,感情統制障害︲境界性パーソナリティ障害スペクトラムという2 つのスペクトラムと,それに相応したプロトタイプを紹介した。また,それに合わせた診断横断的治療の可能性を論じた。
(キーワード:社交不安スペクトラム,境界性パーソナリティ障害スペクトラム,プロトタイプ診断,診断横断的治療)

カテゴリー/ ディメンジョンと精神鑑定 ………(村松太郎
抄録:法廷では,時に精神医学の常識からはかけ離れた精神障害の分類や意味づけがなされる。「犯行動機は妄想性障害から生まれたが,犯行そのものは妄想性パーソナリティ障害から生まれた」「自殺したのだから診断はうつ病である」などがその例で,これらは判決という最終目的に合わせた強引な論考であると認められ,医学的には容認し難いものである。しかしながら振り返ってみると,精神医学の診断におけるカテゴライゼーションも,様々な人々の様々な利害得失によって恣意的になされたものであることに気づかされる。カテゴリー / ディメンジョンの問題は,精神医学界においては水面下に潜んでいるのが常であるが,司法という異界に接する精神鑑定の場面では,しばしばその深刻な姿が顕わになる。
(キーワード:責任能力,心神喪失,うつ病,自殺,操作的診断基準)

スペクトラムの概念から考える精神科薬物療法 ………(冨田真幸)
抄録:精神科薬物療法は,状態像に対する対症療法として行われてきたが,その基盤となる診断が伝統的カテゴリー診断からDSMなどの操作的診断に移り,病因が重視されなくなってから,製薬企業による商業主義や過度の医療化とも相まって,対象となる患者数が激増している。スペクトラムの概念においても,スペクトラムの要にある双極性などの表面的特徴だけを見た場合,過剰診断,過剰な薬物療法の温床となる恐れがある。背景にある病因を意識したうえで個々に治療選択を行うべきである。
(キーワード:スペクトラム概念,薬物療法,DSM,双極性)

スペクトラム論の行方 ………(村井俊哉)
抄録:DSM-5 におけるスペクトラム概念の導入などを通じて,精神医学において「スペクトラム論」,「スペクトラム診断」が注目を集めている。その際,スペクトラム診断に対置されるのは,カテゴリー診断である。しかし本論では,スペクトラム・対・カテゴリーの二項対立は,精神医学の基本問題を考える上では,見かけほど重要な論点ではない,ということを主張したい。疾患をスペクトラム的に捉える(数値化する)ことや,疾患をカテゴリー的に捉える(ラベルする)ことを巡るもっと深刻な論点は,この両者の二項対立とは別のところにある。たとえば,精神疾患の定義や診断,特に健康との境界づけには,「価値判断」の問題を避けて通ることができない。ところがこうした論点が,スペクトラム・対・カテゴリーの対立として誤解されているために,議論が深まっていない場合がある。そこで,こうした「スペクトラム・対・カテゴリー論争」に別れを告げて,精神疾患・症状を数値化することとラベリングすることに共通して内在する,より基本的な諸問題に目を向けることの重要性を,筆者は主張したい。
(キーワード:スペクトラム論、ラベリング、数値化)

▼エッセイ

精神医学は科学か?  ………(山内俊雄)
高次脳機能障害、特に前頭葉機能障害を抑制障害として捉える  ………(鹿島晴雄)
▼コラム
ジェンダーとスペクトラム  ………(香山リカ)
精神分析におけるスペクトラム的思考と弁証法的思考  ………(岡野憲一郎)
製薬マーケティングとスペクトラム  ………(田島治)
編集後記 ………(村松太郎)

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