(1999年5月作成)
 

医学的観点からみたナポレオン像 

アントン・ノイマイヤー  

 

 
 
 
 
 

ナポレオンの意図は人民の解放にあったが、イギリスを筆頭とする彼の敵方がその実現を阻止したのだという神話は、ナポレオン自身がセント・ヘレナ島流刑の歳月中に創作したものである。
 
この神話は後にナポレオン三世によってさらに拡大され、ロマンチックに修飾されたことから、多くの社会団体や文学作品の中には、その影響が色濃く現われることになった。
 
ようやくこの数十年の間に、まずはフランスにおいて、従来よりも現実的かつ緻密なナポレオン像が描き出され、彼の活動は破壊力としても建設力としても認識されるようになり、そして、近代ヨーロッパ史の共同形成者としての彼の役割が明らかにされはじめている。
 
彼は十九世紀の開拓者として、啓蒙思想およびフランス革命思想を統治者の意志と調和させた。果てしない権力の衝動に駆られて、彼はルイ十四世治下ブルボン家の全勢力範囲を遥かに凌駕し、広くヨーロッパ全域で、旧政治体制破壊に向けての堰を切ったため、政治的および経済的に巨大な権力を思いのままに操ることができた。
 
フランスでは今日に至るまで、進歩的に秩序を組み立てて行く彼の精神が、裁判や多くの行政領域に浸透しているようである。
 
イタリアとドイツでも、彼は近代国家思想および国民感情を煽り、封建的な特権と小国分立との打破を助長して、法治国家及び民族国家の発展過程を始動さ せた。
 
こうして、十九世紀、一部は更に二十世紀におけるナポレオンの文学像は、起草する作者によって二つの顔を示すことになったが、そのこと自体は驚くにあたらない。
一方では残忍な暴君の顔、権力に憑かれた誇大妄想者の顔、香具師の顔を持つ男。他方では栄光に満ちた革命の成就者の顔、民族征服者の顔、超人の顔を持つ男。
 
ナポレオンは軍の最高司令官として、万人の畏敬を込めた注視を集め、軍によって神と崇められ、しばしば敵方からさえ軍人の模範と仰がれた。
 
コルシカの謀反人からフランス人の皇帝へ、更にヨーロッパ大陸の支配者への伝説的昇進は、世間の人々の目に、彼が世界史上無比の人物と映るだろう。
 
その人物たるや全く理性的理解を超え、疑いもなく「大帝」の尊称に相応しかったであろう。このことを、かつてヤコブ・ブルクハルトが非常に適切に述べている。すなわち、「歴史上には、時として、世界を意のままに動かす力を一身に秘めた人物が突然に現れる」と。
 
偉大な人びとは一個人の中に普遍性と特殊性、不動と変動とを併せ持っている。彼らは国家、宗教、文化及び危機を統括する」と。 ナポレオンは、政治的演説によって大衆を魅了することもなかったし、音声の力によって人 々を自身の味方に、あるいは広い魅力ある考えに引き入れることもなかったが、大衆への心理的操作の意義を十分に意識していた。彼は大衆を最もよく味方に引き入れ、そして彼の目の覚めるような将来の計画を得て、それに感激させることのできる方法を本能的に熟知していた。
 
他の世界史上に傑出した人物たちを振り返り、彼は次のように確信した。 「世界を変えた人々は、指導者に伺いをたてながらそれを成し遂げたのでは決してなく、常に大衆の心を動かすことによってのみ成し遂げることができたのである。第一の方法は陰謀の領域に属し、二流の帰結しか生み出すことはできない。第二の方法こそが天才の方法であり、世界の顔を変える方法なのである」。
 
ナポレオンの、悪魔のような激情が冷静に考慮し得る知性と対極になる性格、強烈な野心、強固な自信、抜け目のない本能、不屈の意志、ほとんど際限のない実行力などが、彗星のような出現し挫折していった歴史的背景とともに、彼の偉大な伝記の中に描き出されてきた。
 
しかしながら、ナポレオンの性格を描写しようとしたこれまでの歴史家は、そのほとんどすべてが彼の性格に目立つ両極性についての意見では互いに一致したものの、 その原因を詳細に考察したことはほとんどなかった。彼の性格をよりよく理解するためには、それゆえ、青春期の回想を客観的に、医学的に考察することが必要なのである。
 
詳細に伝記を回想すると、歴史家が不可解としている彼の人生における種々な軍事的そして個人的な危機を、従来ほとんど、あるいは全く注目されなかった医学的詳細あるいは病変によって、解明することができるようになるに違いない。「ウエリントンがワーテルローでナポレオンに勝利した」のではないのである。 
 
すでに軍の最高司令官、政治家、そしてフランス人の皇帝としての彼の得意の時代のかなり多くの驚くべき面が明らかにされているため、ナポレオンの医学的伝記は、長期にわたり死に向かいあう生涯を宣告され、セント ヘレナ島に過ごした流刑者の日々を力動的な像として描き出している。
 
この荒涼とした岩肌の島の上で受けた数々の屈辱は、彼の苦痛にみちた瀕死の病状の推移に、少なからず影響したであろう。しかし、最近出版された医学記事の中でさえ、病気そのものの解釈には誤りがみられる。医学的な観点から、ナポレオンの生涯と死とを総括的に叙述することは、この歴史上、非常に重要な人物像をより完全なものとし、人間的な側面をより明確にすることになるだろう。
 

 − 近刊『ナポレオンの病理』への序より − (岩村健一郎訳)
 
 
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