精神の眼は論証そのもの ―デカルト、ホッブズ、スピノザ―(上野 修)

精神の眼は論証そのもの ―デカルト、ホッブズ、スピノザ― [ハードカバー]
上野 修 

デカルト、ホッブズ、スピノザ ― 17世紀の哲学史においてそれぞれにエポックメイキングな役割を果たした哲学者たち。かれらの哲学体系は、一般に≪われ思うゆえに、われあり≫、≪可滅の神リヴァイアサン≫、≪神即自然≫の思想として知られている。
しかし、「哲学思想には、ちょうど円が接線をもつように、思考がその周縁部分でたえずそれに触れ、それとの緊張によって自らの中心を支えているような、そういう外に属する何かが、別に必ずあるものだ」と考える著者は、この3人の哲学者が共有する機械論的な世界観に着眼しつつ、それぞれの思想の根底にあるものに迫ろうとする。

著者によれば、かれらの機械論とは、合理主義という名から想像される以上の不気味な「存在論的機械論」、すなわち「機械的な存在が自生し、算出し、ものを言う……前代未聞の存在の概念」を称揚する立場にほかならなかった。

心身分離と心身合一、あるいは自由と必然という相反する立場を物体の概念において包みこもうとしたデカルト、物理的な「しるし」によって制御されるシステムを基盤に「人はなぜ人に服従するのか」と問いつづけたホッブズ、そしてこれらの思想を過激に全面化し、その結果、世紀のスキャンダルの渦中に投げ込まれてしまったスピノザ―。

ドゥルーズ、ラカン、ゲルー、マトゥロンらの諸説を批判的に援用しつつ、独自のまなざしで哲学者たちの言説に取り組んだ著者の考察は、政治、宗教、倫理の根源的な意味を問う読者に、このうえなく新鮮で知的な息吹を与えることだろう。

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在庫僅少

目 次

ものを言う首 ― 序にかえて (デカルト、ホッブズ、スピノザをつなぐもの)
第1章 残りの者 ― あるいはホッブズ契約説のパラドックスとスピノザ
第2章 意志・徴そして事後 ― ホッブズの意志論
第3章 スピノザと敬虔の文法 ― 神学と哲学の分離と一致
第4章 スピノザの聖書解釈 ― 『神学政治論』の「普遍的信仰の教儀をめぐって
弟5章 われらに似たるもの ― スピノザによる想像的自我およびその分身と欲望
第6章 精神の眼は論証そのもの ― スピノザ『エチカ』における享楽と論証
第7章 デカルトにおける物体の概念
第8章 無数に異なる同じもの ― スピノザの実体論
第9章 スピノザの今日、声の彼方へ

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