「難解な精神医学書を読む」歓び[2018.04.25]

「難解な精神医学書を読む」歓び

村 井 俊 哉 [京都大学]JUN_4497s

 私が精神科医という仕事に就いたのは平成3年ですから、それからすでに30年近くの歳月が流れたことになります。月日の経つのは速いものです。この職業を選んで間もないころの私が大変驚いたのは、ベテランから若手まで難解な本を読んでいる精神科医がとても多いことでした。たとえば精神分析の創始者であるジークムント・フロイトの本をわざわざ原書で読むといったことが各地で行われていたのです。翻訳書もたくさん出版されていました。翻訳されているからすらすら読めるということは決してなく、内容自体が難解なので、一人では太刀打ちできない本がたくさんありました。
 そんな難解書の解読のために有志が集まって、数時間から長いものでは丸一日の読書会を開き、一文一文解読していくのですが、一日に読み進めることができるページ数はせいぜい10-20ページ。一冊の本を読み終わるまで数年という悠長な時間の流れでした。

 私自身は自分自身をかなりの合理主義者と思っています。そうした私から見ると、こうした勉強法は非効率もよいところで、忙しい現役医師がこうしたことに厖大な時間を割いていることが不思議でなりませんでした。
 しかしそれから30年近くの時が流れる中、こうした悠長なことをしている同業者もめっきり減ってしまいました。その人数を推定することは難しいのですが、数万人の精神科医からすると2ケタ少ないオーダー、つまりせいぜい数百人程度ではないでしょうか。「難解な精神医学書を読む文化」は、今や壊滅的とも言えるのです。精神科医以外の読者を含めたとしても焼け石に水といったところでしょう。

 そうした文化を楽しむ人が、数千人ではなく数百人しかいないということは、桁が一桁少なくなった以上の壊滅的な効果をもたらします。なぜならば、「数千」という数は、出版社からみると出版が営業として成立するオーダーであるのに対し、「数百」はそうではないからなのです。

 精神医学の古典、あるいは、比較的最近の書物の中には、まだ日本語に翻訳されておらず、それでいて多くの読者の目に留まる価値を持った綺羅星のような「難解書」がまだ多く残されています。ところが、固定した読者層が一定の臨界点より少なくなった「難解な精神医学書の出版」は、もはや逆戻りできない悪循環に陥り、まさに瀕死の状態にあるのです。
 今、職業人生としては3分の2を過ぎた年齢になって、私は、この避けがたい流れに抗って「難解な精神医学書を読む文化」を復活させることに一肌脱ぎたいと思っています。私は合理主義者という側面に加え、天性のあまのじゃく根性を併せ持っています。そのあまのじゃく根性のために、これだけ皆が「難解な精神医学書」を敬遠するのなら、なんとか応援したく思ってしまうのです。

 こうしたひねくれた動機だけでなく、私自身が「難解な精神医学書」を読むストレートな理由がもうひとつあります。「幸せな人生」、「生きる意味」とはいったい何なのだろうか、という問いは、私にとって究極に大事な問いです。おそらく私だけでなく、多くの人たちにとっても大事な問いでしょう。このような抽象的な問いに対しては、「それは問いの立て方が悪いのであって、答えなどない」という答え方がもっともスマートな答えだとは思いますが、それでも、私自身、この問いに正面から愚直に考えてみることがあります。
 「幸せな人生」、「生きる意味」とは何かに対する、私の初級レベルの答えは、「健康、裕福、安定、長寿」などがキーワードとしてあがってきます。つまり個人的レベルの幸せです。もう少し考えを巡らした上での中級の答えは、「多くの人に支えられていること、そして自分自身が多くの人の役に立てていること」という社会的レベルの幸せです。

 ただ、「幸せな人生」、「生きる意味」について(あくまで私自身にとってですが)私が最も上級の答えと思っていることは、社会的レベルの幸せからもう一度個人的レベルの幸せに立ち戻ります。私にとってのその上級の答えとは、「ものごとを深く考えることができていること」なのです。自分自身について、人間について、社会について、そして私自身が接してきたこの世界のすべてにことについて、「深く考えることができているという感覚」(仮にそれが錯覚であったとしても)こそ、「幸せな人生」ではないのかなと、最近になってますます強く感じるようになってきています。

 Peter Zacharによる「精神病理の形而上学」はタイトルからしてそうですが、中身はそれ以上に、「難解な精神医学書」の代表と言えるでしょう。本書よりもさらに難解な精神医学書ももちろんたくさんあります。ただ「難解な精神医学書」といっても、その業界のお作法や言い回しがわかればそれほど難解ではなく、ところがその業界のお作法や言い回しに通じていなければ著しく難解というような「疑似的な意味での難解書」が多いように、私は感じています。その点、Zacharの本書は、特別な予備知識はほとんど必要なく、しかしながら予備知識がたくさんあっても容易に読みこなせるわけではない、という私好みの「本格派の難解書」と言える書物です。
 「疑似的でなく本格派を」という点に加え、もう一つ私が「難解書」に求める条件は、難解ではあるが最終的に答えがあるということです。複雑怪奇なストーリーで結局犯人もわからず迷宮入りというシュールな書物も気分転換にはよいですが、しっかり答えのある手の込んだ推理小説のような「答えのある難解書」のほうが私の好みです。

 そんなことで、「難解な精神医学書を読む文化」を復活させようという、私の奇妙な取り組みに賛同いただける方は、是非、本書を買ってください。図書館で借りたり本屋でぱらぱらと立ち読みいただくとしても、無視されるよりはもちろんありがたいことです。しかし、本は一定の数の人が購入しないと出版という文化自体が消滅してしまいます。情報量に対して対価を払うことが「本を買う」ことであるといった感覚(「200ページにしてこの値段は高いな、こっそりコピーしようかな」のような感覚)は、すでに時代遅れになっています。情報そのものはネット上に無限に散らかっているこの時代に、敢えて「本を買う」ことの意味は、自分が守りたい文化を応援することでしかないと言えるでしょう。

 有志の皆さん、是非、「難解な精神医学書を読む」という、この奇妙だけれども魅惑的な文化を守るプロジェクトに手を貸していただけないでしょうか。

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