スピノザ―ライプニッツ
関係研究への助走

平尾昌宏

『スピノザ協会会報』37号掲載


2001年9月23日の第29回スピノザ研究会における発表の発表者自身による要旨です。


0 おことわり

 研究会での口頭発表では、序論として、スピノザとライプニッツの関係について考えるための予備的な考察と、本論として、両者における「弁神論」の問題についての報告を行った。ただ、その本論部分は時間的な都合 ― 発表者の不手際であるが ― もあり、充分に展開することができなかった。そこで本稿では、後者の問題については他日を期することにし、ここでは前者についてだけ、その要旨を改めて整理し直しておきたいと思う。その点をまずはお断りしておきたい。

1 スピノザとライプニッツの関係を考える

 スピノザとライプニッツとの関係についての研究は従来も行われてきた。だが、スピノザとライプニッツは時代的に近く、幾許かの交流もあるにもかかわらず、研究は ― とりわけ日本においては ― 決して多いとは言えない。それはおそらく、この2人の哲学者の関係に特有の難点によるのではないかと思われる。
 スピノザとライプニッツとの関係は、例えばヘーゲルとシェリング、フィヒテとシェリングといったカップルの関係とは異なっている。これらドイツ観念論の哲学者たちは非常に緊密な ― ある意味でローカルな ― 関係にあり、かつその関係は相互的なものである。ひとつにはかなりの量の往復書簡があり、また、それぞれの著作で ― 明示的であったりそうでなかったりするものの― ― 互いに対する言及が見い出される。むしろ、それらの著作そのものが互いを意識して書かれた場合もある。『精神現象学』序文とそれに対するシェリング『自由論』といった具合に。
 それに対してスピノザとライプニッツの場合には、残された往復書簡はわずかであり、哲学的な内容に踏み込んだものではなく、また対面も一度にすぎず、その内容の詳細も明らかでない。著作での言及について言えば、ある意味で当然のことながら、ライプニッツのスピノザ言及は多数あるが、スピノザのライプニッツ言及はほとんどない。したがって、両者の関係について考えるとき、第一の資料はライプニッツのスピノザへの言及、評価に限定されてしまう。

2 ライプニッツのスピノザへの言及

 しかしながら、ライプニッツのテキストは、幾つもの意味で難物である。第一に遺稿を含めればその総体は膨大なものであり、刊行されたものは一部にすぎない。第二に、テキストの難解さ、さらに第三に、扱いの難しさである。第三の点は、とりわけライプニッツのスピノザ言及を論じる際に、典型的に表れてくる。
 第一に (α) 、ライプニッツのスピノザ言及は断片的である。次に (β) 、ライプニッツは成長する思想家である。最後に (γ) 、決定的なこととして、ライプニッツのスピノザへの言及には重大な矛盾が見られ、少なくとも一貫していない。
 α) ライプニッツのテキストで、今でも最もよく用いられるゲルハルト版『ライプニッツ哲学著作集』には「ライプニッツとスピノザ」と題する資料集が収録されているが、それらは、ライプニッツが保存していたスピノザの書簡 (ライプニッツ以外の人に宛てたもの) とそれに対するライプニッツのコメント、また、ライプニッツが『エチカ』について残した読書ノートである。すなわち、コメントや抜き書きであり、まとまった文章ではない。
 まとまったものと言えば、フシェ・ド・カレーユの『ライプニッツのスピノザ反駁』に収録されたものがある。しかしこれは、当時の自由思想家ヴァハターの著作へのコメントであり、スピノザを直接の中心主題としたものではない。
 他にもライプニッツのスピノザ言及は、数は多いものの、いずれも断片的なものに留まると言ってよいだろう。したがって、ライプニッツのスピノザに対する考えを知るためには、それらのテキストを総合しなければならない。
 β) しかしライプニッツは、思索の頂点をいわゆる「モナドロジー」にとるならば、そこへ向かって進化・深化を続けた思想家である。したがって、ライプニッツのテキストを読むことそのものに既に困難がある。時々に発せられ、諸処に散見されるスピノザへの言及を、ライプニッツ思想の発展のなかに位置付けなければならないし、そのためにはライプニッツ自身の思想の歩みを辿っておかねばならない。
 γ) しかし困難なことに、それらの断片的な言及やライプニッツのその時々の発言には相互に矛盾が見られる。それらは大雑把に次の3種に分類することができる。A) 儀礼的なもの、あるいは客観的な情報、B) スピノザへの共感や賛意、C) スピノザへの反感もしくは批判。とりわけB) とC) の間に見られる矛盾を解消するには、2つの方法がある。第一には ― しかしこれは、場合によっては第四の困難を持ち込むことにもなりかねないのだが ― 、ライプニッツの公式発言と個人的な発言とを区別することである。ライプニッツ自身、出版されたものでしか私を知らない者は私を知らないのだと言っている。これによって、ライプニッツは公式にはスピノザを非難したが、実質的には共通点が多い、という理解を提出することも可能ではあるが、完全ではない。第二には、矛盾する発言を時間軸に沿って並べ、ライプニッツのスピノザへの態度の変化をライプニッツの思想の展開として理解するという考え方である。
 そのようにして断片的な言及を総合するとして、しかも、何らかの統一の軸を設定した上で、結論的には3つの立場が可能である。
 1) ライプニッツは、とりわけ公式の発言においてスピノザを非難しており、それを看過することはできない。スピノザはライプニッツにとって明らかな敵であった。
 2) ライプニッツの公式の発言は、当時無神論者として非難の的であったスピノザへの共感を悟られまいとする配慮にすぎず、実際にはスピノザから大きな影響を受けており、また共感していた。
 3) ライプニッツのスピノザ言及は、それ自体として断片的でもあれば表面的なものであって、ライプニッツにとってスピノザはそれほどの重要性を持たないし、ライプニッツはスピノザから影響を受けてはいない (ライプニッツにとって重要な人物は他にいる。例えばデカルト、あるいはホッブズ) 。

3 初期研究史概略

 スピノザとライプニッツの関係研究史を辿った場合に見出される重要な研究は、概ね、上のいずれかに当てはまると言うことが出来る。
 1) 例えば、19世紀半ばに『ライプニッツのスピノザ反駁』を刊行したカレーユは熱心なライプニッツの研究者であり、その企図においてかなりの規模となるはずであった『ライプニッツ著作集』の刊行を進めていたし、その他にも重要なテキストを複数公表しており、その幾つかは現在でもほとんど唯一のソースとなっている。その意味で、遺稿の多いライプニッツのテキストの一部でも提出してくれたカレーユの功績は小さいものではない。
 そして『ライプニッツのスピノザ反駁』もそうした貴重なテキストの一つであるのだが、これにはカレーユ自身の長大な ― ライプニッツのテキスト本文以上の ― 解説もしくは研究が収められており、カレーユはその著のタイトルにも見えるように、ライプニッツのアンチ・スピノザの立場を明確にするための材料として、当該のテキストを提示しているのである。だが、既述のように、このテキストはスピノザを主題としたものではないし、まして、スピノザ反駁 (だけ) を目指したものではない。その意味で、最近の研究者ブーヴレスも言うように、このタイトル自体が誤解を招くものである。それは、カレーユの理解を示してはいても、テキストの実質を示してはいない。
 2) 同じ19世紀の終わりになって刊行されたルートヴィッヒ・シュタインの研究『ライプニッツとスピノザ』は、こうしたカレーユの解釈への批判にもなっている。
 シュタインの研究は、付録としてライプニッツの未刊行テキストを収めていることによって現在でも価値を持つ。だが、われわれにとって重要なのは、「ライプニッツ哲学の発展史への寄与」という副題にも表されているように、ライプニッツ哲学の発展史を跡付けるなかで、ライプニッツとスピノザとの関係を実証的に計ろうした点である。
 この研究は、スピノザ―ライプニッツ関係についての従来の見方を復習し、また、自らが採用した方法のアポロギアから始めるという非常に手堅いスタイルをとっている。その方法というのは ― 彼の時代の流行の方法だと言えるかもしれないが ― 、発展史的な観点である。この作業の結果として、シュタインはライプニッツにとってスピノザが極めて重要な意味をもっていたと主張する。すなわちシュタインは、ライプニッツ哲学のなかに意味深い空白を見い出し、そして、その空白はスピノザとの関係によって埋められることを、資料的に明らかにしようとしているのである。そればかりか、ライプニッツは、独自の体系としてのモナド論を成立させた後も、何らスピノザ主義に対して敵対していなかったとし、ライプニッツの親スピノザの態度を一貫したものと解している。
 3) 次に重要なのは、20世紀半ばに出た、ジョルジュ・フリードマンの『ライプニッツとスピノザ』である。フリードマンはシュタインとは逆に、ライプニッツの思索の展開に隙間を作らない方向でライプニッツを読む。ライプニッツは、若き日に既に独自の哲学を形成しつつあったのであって、その過程でスピノザ主義が大きな役割を果たしたとは言えない、とフリードマンは主張する。面白いのは、このフリードマンの研究もシュタインと同様に、ライプニッツ哲学の成立史を実証的に再構成するという方法を採用している点である。スピノザとライプニッツとの関係や両者の異なりについて、若き日と晩年に区別して論じており、ライプニッツがスピノザを知る以前の時期から『弁神論』の時期に至るまでのライプニッツの思索の展開を、スピノザとの関係に目を配りながら追うという周到な準備を怠っていない。カレーユによる偏向を正そうとしたシュタインが反動として逆の方向に振れたのに対して、その偏向を更に修正しようとしたのがフリードマンであるとも言える。

4 研究史の残したもの

 では、同じく実証的な方法を採りながら、シュタインとフリードマンの結論がなぜこれほど違っているのか。それは、極めて単純に説明出来る。つまり、ライプニッツの残した草稿やメモの類いがあまりにも多いからである。その多量の文書のなかからは、親スピノザ主義も、反スピノザ主義も、容易に導き出せるだけの材料があった、ということである。
 こうした研究方法に留まるならば、ある種の限界は免れられない。資料の制約から言って、結論は、ライプニッツが受けたスピノザからの影響の有無、ライプニッツのスピノザに対する態度のプロとコントラ、ライプニッツによるスピノザの乗り越えの成功と失敗のいずれかを主張することになるという隘路を抜けだせないからである。いずれの結論を採るにせよこの限りでは、スピノザとライプニッツの関係の研究は、ライプニッツ研究の一部門にすぎなくなってしまう。
 2人の哲学者の関係についての実証的な研究は、ライプニッツの膨大な遺稿の全貌を見渡すことができない以上、シュタインとフリードマンの2人によって完全に行われたとは言い切れない。しかし、依然として2人の仕事はかなりの水準を保っているとも言える。さらに研究を進めるならば、実証的な資料研究を進めながらも同時にそれを超えて、バルトシャットが述べているように、2人の体系の実質を対比することが重要になる。
 むろん、ここで言及しなかった研究も多くあり、実際に今指摘したような研究の方向を向いたものもある。例えば比較的近年のブーヴレス『ライプニッツとスピノザ』や、あるいはドゥルーズの『スピノザと表現の問題』なども、このなかに含めることができるだろう。だが、それらは特定のトピック (ブーヴレスなら汎生命論、ドゥルーズなら表現の問題とデカルトとの関係) に焦点を当てるものであって、それらのトピックはスピノザとライプニッツの関係からおのずと立ち現れてくる問題なのかという点では疑問もある。そうした点の検討も含めて、スピノザとライプニッツを真に相互的な関係において総合的に捉え直す必要がある。
 こうしたことが研究史の蓄積から提起された課題であると言えよう。

5 哲学史におけるスピノザとライプニッツ

 時代的に近いとは言え、交流は比較的薄く、資料的に言えば関係は一方的であり、さらにそこからは決定的な関係が実証的なレベルで明確に描き出せないならば、両者の関係について論じることは、例えばプラトンやアリストテレスとスピノザを比較するといった超歴史的な考察になるか、時代の単なるエピソードの指摘になるしかないのだろうか。しかし、そうした見方は極端であろう。2人は明らかに同時代の空気のなかに生きたが、それだけではなく、ある「本質的な関係」を持つように思われる。だからこそ、彼ら以降の哲学史においても、両者の関係はほとんど常に問題とされてきたのではないだろうか。
 1) 例えば、ライプニッツの (ある一面での) 継承者であるヴォルフが、スピノザ主義者として「非難」され、大学を追放されるに至った事件に触れよう。ヴォルフ批判者たちの中核ランゲにとって、ヴォルフ哲学とはライプニッツ哲学の異名に他ならず、そして、そのライプニッツ哲学とは「汚らわしい」スピノザ主義と実体において一である。したがって、ヴォルフ哲学もスピノザ主義と同様に非難されるべきものであることになる。これに対してはヴォルフの側からも反論が起こったが、それは当然、ヴォルフ自身とライプニッツの哲学はスピノザ主義からは遠いものだと主張することになる。スピノザ=ライプニッツの関係について、もっとも極端な2つの見方がここにあると言えるかもしれない。
 2) それに対して明確な歴史的遠近法を持つヘーゲルは、スピノザ哲学やライプニッツ哲学それぞれを歴史的な発展段階の一つとして位置付ける。これは哲学史講議のみならず、『大論理学』などにも見られる。というのは、これは単なる彼の哲学史観を示しているばかりではなく、彼の方法、つまり弁証法そのものが示す事柄だからであり、逆に言えば、彼のスピノザ―ライプニッツ関係についての考えは、彼の思考の特徴がよく現れた箇所であると言えるかもしれない。しかもこの見方は非常に強力な感染力を持っており、ヘーゲル以降、「哲学史」を語るときに多かれ少なかれ見られる (例えばシュルツ) 。
 3) シェリングもとりわけ近代哲学についての歴史的な反省を行っている。それは晩年の『近代哲学史講議』に表れているだけでなく、初期からの多くの著作で繰り返し行われている。彼もまた、ヘーゲルとは別な意味でではあるが、明確な歴史意識を持っていたのである。だが、その歴史意識は、歴史上の哲学者の各々に対する彼自身の直接的な関係に集中している点に特徴を持つ。しかもそのシェリング自身の思索が変転ないしは深化する。だから、ある時にはスピノザを非常に高く評価するかと思えば、ある時には徹底的に批判するというように、一見すると一貫性のないこと甚だしい。しかし、われわれにとって興味深いのは、シェリングがスピノザとライプニッツを対として出してくる場合が多いことである。シェリングの代表作の一つ『自由論』はその極端な一例で、この著作にもっとも頻繁に登場するのがスピノザとライプニッツなのだが、スピノザを持ち上げるときにはライプニッツを批判し、ライプニッツを評価するときにはスピノザを低めるという手法が繰り返して出てくる。

6 「本質的関係」

 これらの事例は、多くの研究が示すパターンでもあるが、スピノザ―ライプニッツ関係研究の範型とはならない。ランゲとヴォルフはあまりに政治的であり、ヘーゲルは理念的、シェリングは主体的 (あるいは主観的?) であり過ぎるかもしれない。しかし、彼ら以外にもスピノザとライプニッツの間に、いわばある種の「本質的関係」を見い出す者は多い。しかも、その関係をどう捉えるかは千差万別である。その意味でわれわれは、スピノザとライプニッツの関係が多くの哲学の鏡ともなるのではないかという視点を採ることができるだろう。
 こうして、われわれは2つの利点を得ることができる。つまり、1つにはライプニッツのスピノザ言及に留まる限り免れない関係の一方向性を払拭できること、また、この2人の関係を、われわれ自身の鏡にもできることである。問題は影響や超克といった哲学史の制度的な枠組みにある装置 ― それをフィクションとまでは言わないにしても ― なのではなく、存在を巡る2人の巨人の戦いと、人々が、そしてまたわれわれ自身が、そこから何を汲み取るかに賭けられている。【了】



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