The Flower in the seal of Spinoza

エルサレムのスピノザ

「異端者に承認のスタンプ」



『スピノザ協会会報』42号・エッセイ


高木 久夫


 今日ユダヤ人がスピノザを称賛するばあい、その「人類に対する功績」を重く見るか、「ユダヤ人への功績」を重く見るかで、称賛者じしんの立場は微妙に分かれて行く。

 「人類に対する功績」を理由に昨年、イスラエル郵政当局はひとつの判断をしめした。2002年8月17日、「世界の文化に貢献したユダヤ人」シリーズのひとつとして、独立後54年にして初めてスピノザの肖像を切手に採用したのである。

 哲学者の肖像は、18世紀のいわゆる「ハーグの肖像」、またはそれにもとづく銅版画 (1802年のパウルス版全集所収)を模したようだが、その表情は心なしか原版より穏やかに見える。赤い署名に、あの "CAUTE" の印章があしらわれる。意外なのはミシン目で切りはなすマージンのデザインだ。生没年とともに、宗教勢力のみならず、ユダヤ哲学者たちの批判をもあつめた『神学政治論』の題字が掲げられる。蒐集家むけの「初日カバー」(発行日消印つき封筒) には、同書初版の表題頁のほか、唯一現存する自筆註いり『神学政治論』(ハイファ大学蔵) にあるクレフマンへの献辞までが見られる。一般の切手蒐集家が気づくはずもないこの道具だては、スピノザとイスラエルとの特別な結びつきをスピノチストに訴える、イスラエルの世俗派勢力からのささやかな声明と解せなくもない。

First-date cover of Israeli stamp of Spinoza

提供・The Jerusalem Spinoza Institute

 とは言え、3世紀半前に一地方の会衆が発した破門の効力はついえていない。この切手のため、哲学者と歴史家は当局の説得に何十年も費やした ― 『エルサレム・ポスト』紙は切手発行の翌週、「異端者スピノザに承認のスタンプ」という記事でこう報じた。報道されていないが、記念切手担当の局長、イーノン・ベイリンが退職直前をねらうように発行を承認したことも、憶測をよんだ (彼の兄弟はパレスティナとの「ジュネーブ合意」の起草者のひとりで、エルサレム分割案をめぐり、やはり宗教派の非難を浴びることになった)。

 「ハレディーム」と呼ばれる超正統派は、この切手への不快感を隠さない。彼らにとってスピノザが「聖書を人間の著作とした」「無神論者」である事実は変わらない。『ポスト』紙によれば、あるハレディーの国会議員はスピノザを、ナチを利したワグナーにたとえ、「改宗者よりたちが悪い」と評している。なにもイスラエルが祭りあげることはない、というわけだ。現実にハレディームの圧力が、エルサレムの街路のひとつを「スピノザ通り」と命名する働きかけをくじいてきたことは、つとに知られる。久しぶりの旅行者にとってエルサレムは、ハレディームの姿が目だつ都市となっていた。この切手を歓迎した世俗派の人びとが、発行のうらに普通ではない政治的かけひきを憶測したのも無理はない。

 一方、世俗主義的な知識人の多くにとって、スピノザこそ「最初の近代的ユダヤ人」である。エルサレム・スピノザ研究所は、ベイリンらを招いての切手の発表式典につづけ、『エティカ』における民族主義、世俗主義、現代性をめぐる2日間のセミナーを主催した。同研究所は5回を数えた国際会議 "Spinoza by 2000" で知られるが、「9.11」以降の緊張のなか、これにつづく国際会議を断念し、国内むけのセミナーや論集の刊行に傾注している。

 スピノザの健在ぶりを示すのは、切手ばかりではない。イルミヤフ・ヨヴェルによる今年7月のヘブライ語新訳『エティカ』は、早くも9月に2刷が投入される売れ行きを見せた。ラテン語原典とヘブライ語訳との術語対照表と詳しい索引を特徴とするこの本が「ジョン・グリシャムと並んで平積みとなった」ことは、スピノチストたちを驚かせた。正統派の複数のラビも、スピノザの名誉回復を事実上公言している、とヨヴェルが述べるとおり、その読者は予想以上に幅広かったのだ。

 こうしてみると、郵政当局の「人類に対する功績」という説明を額面どおりに受けとめるのは、やや早計だろう。出口のない混乱の中でなお少なからぬイスラエル国民が模索するのは、スピノザを「我われのひとり」と捉えるときに浮上する「我われ」なのかもしれない。



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